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ワッペン・グッズ紹介:番外編

−この帽子は私の所有物ではありません−

幻の帽子発見!

ご覧のとおりAGRの帽子です。・・・が、よく見ると細部が現在のと違います。
コレは飛行教導隊が築城基地に発足した当初の帽子なのです。
初期型とでも言いましょうか。しかも使用時期はかなり短かったようです。
一見して分かる人も多いとは思いますが、現在の帽子との相違点は
"EVALUATION"という文字が入っていることです。

 航空情報'82年3月号にて、発足間もない飛行教導隊が紹介されています。また航空ジャーナル'82年4月号でも飛行教導隊が紹介されておりまして、その中の写真に写っているパイロットが被っているのと同じ帽子です。航空ファン'82年8月号でのレポートのなかで「飛行教導隊の帽子には2種類あって・・・」という表記がありますが、これがそのひとつであり、もう1種類が現在のデザインです。
当初はここで紹介している1種類のみであったのですが、"EVALUATION"(「評価」の意)の文字が、現実的に当隊のイメージにそぐわないという理由で削除され、現在のものになった、との事です。

 発足当初から飛行教導隊の実態は米空軍のアグレッサー飛行隊に倣(なら)った部隊であり、米軍で訓練効果の高さが注目されたDACT(異機種対戦闘機戦闘)を実戦部隊に経験させることを主眼として発足した部隊なのです。つまり教導隊という名称は、その任務を正確に表現しているとは言い難いものでした。また、現実として第一線の戦闘機部隊に対し練習機(T−2)で教導や評価を行うという事は反発のようなものもあるのではないかと考えられていました。今でこそF−15を運用し、ファイターウェポン課程も解散した第202飛行隊から受け継いだ飛行教導隊ですが、発足した当時は、教(え)導(く)隊という名称を掲げつつ、実態としては全国のTACに対し「敵」になりきることに徹していた部隊だったのです。
 全国のTAC基地を巡って出稽古の相手・仮想敵役を務める飛行教導隊は、使用機は練習機なれど、F−4やF−104やF−1(のちにF−15も)に対して互角あるいはそれ以上に渡りあうべく、全国からACMのエキスパートが集められたのでした。そしてあの一撃必殺の意をこめたコブラのマーク、空中戦での敗北の結果を意味するドクロの記章・・・飛行教導隊は姿を現してみれば、それは教導という名とは裏腹の、空中戦の鬼たちの巣窟だったのです。いわば航空自衛隊の「悪役商会」ですな。(←ちょっと違う)
 そんな実態を踏まえ、帽子の方も”EVALUATION”の文字を消し"AGGRESSOR"の文字を強調したものになった、とのことです。
 という訳でこの帽子は、おそらく飛行教導隊創設時の隊員用に発注したぶんだけしか作られていないという、とても希少なモノなのです。飛行教導隊の歴史を語る上でも貴重な資料であると言えるかもしれませんので、所有している
知人のご厚意により、紹介させて頂きました。
ちょっとくたびれた帽子ですが、大事に保管(?)していた知人に感謝感謝。

Very Special Thanks:RCY

蛇足ながら上記の航空雑誌に掲載されている別のレポートを何点か紹介すると・・・

●臨時F−15飛行隊発足
●海上自衛隊のP−3C×3機、厚木基地に到着
●T−2ブルーインパルス、デビュー間近

・・・と言ったところです。そんな時代のお話です。


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