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松島の長い一日(書き下ろし・2003年7月27日)

2003年7月26日、朝の7時過ぎ頃、東北自動車道・大和ICを降りた直後、走っているクルマの中がいきなり、ブルブルブルッと左右に揺れだしました。10秒ぐらいは揺れていたでしょうか。道路の起伏を拾った挙動とは明らかに違う事は、助手席に座っていたアタクシでも解りました。クルマの中で地震を感じたのは初めてです。パニックになるほどではなかったものの、運転しているばんちょーと二人して「うわわわわっ。コレ地震だ!」と、ちょっと不安は走りました。
すかさず聴いてた音楽CDをラジオに切り替えると「矢本町で震度6強の・・・」なんて言ってるから驚く。その地震速報を聴きながら大きな川沿いを走ってると、その道路の中央の白い点線に沿ってヒビがぴーっと走ってる。場所によってはヒビがパックリと開いて10cmぐらいの段差になり、河川側の車線(我々が走ってる方)が、路肩側に(つまり川に向かって)ビミョーに傾いてる。ちょっとコワイ。といって停まるワケにもいかないので、丁寧に走りました。さしあたって事故車は見あたらなかったけど、ココの部分を走ってて地震に遭った人は、さぞ怖かっただろうと思う。

時折、崩れている山の斜面を横目で見たり、道路を横切るヒビ割れを徐行して慎重に通過したり、さらに、走りながらの揺れを何度となく感じながら基地に近づくと、墓石やブロック塀や自販機が倒れてたりと、地震の被害を受けたであろう個所がだんだん多くなる。しかも雨ざんざん。これじゃあ・・・ってんで、まず泊まる予定の旅館に行ってみました。途中の神社にある、石でできた鳥居が無残にも崩れ落ちてるのを見て、もはや航空祭が云々よりも「これからどうなるんだろう・・・?」という意味で不安になる。しかして旅館にたどり着くと、駐車場の大きい看板や植木鉢がバッタリ倒れてて、旅館のオバサンとオジサンが、疲れきった表情で、雨に濡れながら片付けをしていました。訊けば建物にも被害があったようで、住まいの方では物が散乱したりガラスが割れたり雨漏りがしたりとの事。こりゃ営業どころのハナシではありません。もう99.99%航空祭の中止を確信しつつ、基地の様子を見てきますとオバサンに告げ、基地のゲートに行って訊いてみると、当然のごとく「ハイ、今日は中止になりました。申し訳ありません」との返事。べつに謝んなくてもイイってばさ。まぁ、せめて・・・とゆーワケで、もはや幻となった航空祭のパンフだけ何枚か頂きましたが。
その後しばしゲート付近にたたずみ、今朝入間を発って夕方に合流予定の仲間に連絡し・・・ようとしたら、ありゃ、ケータイが繋がりません。場所が悪いのでなく通信規制のようです。ただメールは使えたんで中止は伝えられたんですが、当然と言うべきか、アッチも状況は把握しておりました。

さて、とりあえずクルマのラジオだけでは情報が充分ではない(っつーか、番組を変更して1日中地震関連情報を流してたけど、ヨソ者には地名とかが良く解らないのよ)ので、ほんの少しT-2に未練を残しつつ基地を後にして、再び旅館に行ってみることにする。その途中で、せっかくだからと、「銘菓・ブルーインパルス」の看板があるお菓子屋さんで、その看板商品を買おうと寄ってみる。・・・と、駐車場脇の塀は一部崩れ、店の入り口には、商品の缶ジュースを入れる部分がガラス製の保冷ケースが、ガラスが割れて見るも無残な状態で外に出してありました。他にも棚とかが何点か、同様の状態で出してありました。店のおばさんに聴くと、深夜に凄く揺れてほとんど眠れず、朝の揺れは更に強烈だったそうで、店内も家の中もグシャグシャになって片づけが終わらない、また、店内にあった水槽が倒れてしまって中の熱帯魚は全滅、かわいそうなことをした、と申しておりました。お気の毒としか言いようがない。もう航空祭が中止なんてのは我々にとっても瑣末な問題になってました。銘菓BI(いっぱい残ってるし安くすると言われたので、ちょっと余計に買わせて頂きました)と菓子パンを買って、店を後にする。

その後ほどなく旅館に着くと、オバサン「埼玉から走ってきて疲れてんでしょ?どーせ道は通行止めだし、少し休んで行きなさいよ」なんて、どー見てもウチらよりオバサンたちの方が疲れてんのに、気遣いをしてくださる。・・・お言葉に甘えてしまいました。持っていったお土産の狭山茶ぐらいではホントに申し訳ないほど、有難かったです。感謝感謝感謝。
で、ラウンジにあるテレビで地震のニュース映像を見ると、さっき自分が見たのと同じ光景がソコに写ってたりして、自分たちはタイヘンなところに来ているんだと実感する。この旅館とて、電気や水道が何とか使えはするものの電話はほとんどまともに使えないようだったし、廊下に物がガチャガチャに散乱していたりして、もし自分の家が同じ状況に遭ったらと思うとゾッとする。火事も怖いが地震も怖い。思い知らされました。
結局、お昼過ぎまでラウンジで休ませて頂いた後(ちなみに余震は頻繁に起こっていました。あんなに短い間隔でしょっちゅう揺れるのは体験したことがないです)、東北道の通行止め解除を確認して、帰る事にしました。

ほんで、東北道と直結なった有料道路の矢本ICまで行ってみたら通行止めだった(三陸道という名称はココで解った。そーいえばラジオで言ってたな)ので諦め、いたる所がベッコリと陥没してたり半壊した家が並んでたりする道を恐る恐る走り、災害派遣の陸自メガクルーザーと何台となくすれ違いつつ、国道45号線に入りました。コレがまたモノスゴイ大・大渋滞・・・。矢本駅付近の交差点から鳴瀬大橋までたどり着くのに(この間に給油。ちなみに最初に見つけたGSは停電でアウト)軽く2時間以上かかりました。橋の手前の交差点でボトルネック状態になっていると同時に、道路の修復で片側通行を実施してるのでゼンゼン動かない。間違いなく歩く方が早かったでしょう。
ちなみに橋を渡った後はしごくスムーズで、そのかわり対向車線が、おそらくコッチよりも長いと思われる超・超・チョー渋滞。その車列の中に「災害派遣」の幕を張った自衛隊のトラックを何台か見て、ちょっとはがゆさを感じたアタクシでした。
その後も車線は順調に流れ、4時過ぎ頃、食事しようとゆーコトで、道の駅とかいうトコに立ち寄る。そしてお店に入ったら、またちょっと大きい揺れ。店内がざわめきはしたものの大事にはいたらず、そのまま食事をしました。そして道の駅を後にして、大和ICより東北道に乗る。ちなみに道の駅あたり以降からは、地震の事はまったく感じさせない、平穏な様子でした。
で、道北道に乗って最初のSAに寄り、食事するトコにあるテレビを見ると「宮城で3回目の震度6弱の揺れ」なんて言ってる。うわー、さっき、道の駅で揺れたのがそーだったんだ。さっきまであの場所にいたんだと思うと、複雑なキモチになりました。

ちなみに今回、松島近辺は最初から最後までザンザ降りの雨。朝の時点で多いな、と思った川の水かさも、帰りにはさらに増していました。それから今回、飛んでるのを見た飛行機といえば、救難隊のUH-60と陸自のUH-1、それから県警ヘリと防災ヘリと報道ヘリ、といった所です。どれも通常とは明らかに違う低さで矢本町上空を飛び交っていました。

入間から松島までクルマで約5時間。ご当地に5時間ほど滞在(半分以上は休憩)し、帰りは食事込みで10時間強。目当てだったT-2を見ることはできませんでしたが、その代わりに、見たり感じたりしたものが、あまりにも強烈すぎます。ですから今回は骨折り損だった、という思いはない・・・というと語弊があるかもしれませんが、そんなキモチです。ただ、こんな経験は一生に一度で充分ですね。


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